生き方

人間はそもそもコミュ障:職場の人とは仲良く出来ないのが当たり前

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今回は私の独断と偏見に満ちた記事です(笑)

サラリーマンの方の多くは、なんか上司や同僚がどうでもいいことをネチネチ言ってきて、うっとおしいなぁ…と思うことは多々あると思います。正直、私も日本企業の特徴である「職場で濃密な人間関係を築こうとする姿勢」が正直死ぬほどイヤでした。今は外資系でお互いあまり干渉しない職場なので、楽なのですが・・・。(もちろん外資系もいろいろあります。今の上司は日本人ですが驚くほど放任で助かってます)

つまり、私は「コミュニケーションが嫌い」という人間です。日本企業が大好きな「コミュニケーション能力」は持っていません。。学生時代は部活の先輩後輩の関係もイヤで帰宅部に所属していたくらいです。いわゆる軽度のコミュ障です。

こういった「他人との過度なコミュニケーションはイヤ」というサラリーマンは多いのではないかと思います。そんな自分に嫌気がさして、なんとかコミュニケーション上手になろうと頑張る人も居るでしょう。でも、おそらくいつまでたっても「職場の人間関係」はイヤなままだと思います。

私は別にコミュ障でも良いと思っています。というか人間はそもそも他人とコミュニケーションを取りたくない生き物なんだと思います。

サラリーマンは気が合わない他人とうまく付き合う必要がある

友達でもない人と、そこそこ仲良いフリして波風たたせず一緒に仕事するのは疲れます。変に先輩風を吹かす人、面倒くさいお局・・・組織で働くサラリーマンは、どうしても気が合わない人ともうまく付き合う必要があります。日本企業のようなムラ社会的な組織では、精神的にかなりしんどい場合が多いでしょう。私も新入社員の頃はかなりしんどかったです。。

なんで気が合わない人とムリして一緒に居る必要があるのかというと、サラリーマンは組織に属しないと給料をもらえないからです。給料がないと、生活できません。だから無理してイヤな人とも平日は毎日顔を合わす必要があります。なので「コミュニケーション能力」がサラリーマンとして大過なく生きていくには必要となります。体育会出身者で、とりあえず先輩のいう事は何でも「はい!」という人が最もいいですかね。(私は理不尽にはすぐに反抗するので、干されやすいのですが・・・)

昔は誰でも、嫌いな人と付き合い必要があった。コミュ障には逃げ場がなかった

人間はひとりでは生きていけません。大人の虎とか豹などは単独行動で生きているのですが、人間は群れないと生きていけません。

その昔、農村ではみんなで協力して農作業をして生活する必要がありました。どんなに嫌いな人が居ても、基本的に1人で逃げるという選択肢はありませんでした。農村を離れて1人で生きるのは非常に困難だったからです。逃げ場がない閉鎖的な社会だったのではないか、と思います。どんなに他人とのコミュニケーションが苦手でも、後天的にむりやりコミュニケーション能力を獲得し、だましだましやっていくしかありませんでした。

都会は「1人でも生きていける」快適な場所

ところが、インフラが整った「都会」というのは、他人がいなくとも生きていけます。電気・水道・家・レストラン・雑貨屋、何でもそろっているので、他人に頼ることなく生きることができます。人々がどんどん都会に流れていくのは、仕事もそうですが、他人の干渉を受けずに1人でも生きられる、というのも理由の一つと考えられます。

人間というのは、別に好きで他人と群れているわけではなく、生きるために仕方なく他人とうまく付き合っているのです。もし1人でも生きていけるのなら、1人になりたいというのが人間の自然な動きなのです。田舎の濃密な人間関係なんてまっぴらごめんというのが、多くの人間の自然な感情です。昔と違い、文明が発達した現代社会において、我々現代人は「1人でも生きられる。他人に気兼ねせず生きられる」という最高の時代を生きているのです。

人間はコミュ障がデフォルト。サラリーマンに向いている人は少ない

非常に残念ながら、多くの場合フリーランスよりサラリーマンのほうが効率よくお金を稼げるので、せっかく他人の干渉を受けずに生きていける都会に住んでいても、サラリーマンという「他人の干渉を受けまくる」職業についてしまいます。そのため多くの人が不幸にも疲弊するのですが、「他人とうまく付き合えない」ことに自己嫌悪する必要はありません。

人間はそもそも他人と付き合いたくない、という生き物なので、組織になじめないというのは普通なのです。生活のために仕方なくサラリーマンをしている人は、組織になじめない自分を責める必要はありません。人間はデフォルトがコミュ障であり、コミュニケーション能力は仕方なしに後天的に獲得するものなのです。サラリーマンに向いている人というのは、少数派なのです。

配当金というのは福音

私のような、嫌いな人&不快な環境下で働くと蕁麻疹がでる、というコミュ障にとって、「配当金」というのは天からの恵みです。今、私はやろうと思えば株のポートフォリオを入れ替えることで年間受取配当金を手取りで500万円くらいに出来ます。1人でも生きていける都会で、株からの配当金だけで生活できるという「逃げ道がある」という安心感は何物にも代えがたいです。この安心感があるからこそ、イヤな職場からすぐに転職できました。今でも、もうサラリーマンがイヤになったらいつでも辞めていいや、とも思っています。

サラリーマンというのは多くの経験もできるので、一概に否定はしません。しかし、他人からの過度な干渉を受ける生き方はストレスフルなので、「いざとなったら辞めることができる」という武器を持っておく必要があります。そういう意味では、株式投資、そして配当金というのは現代社会に無くてはならないものかなあ、と思っています。







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スモーク

スモーク

新卒日本企業→豪州駐在→豪州企業転職→日本に帰り日本企業転職→外資系企業転職で今に至る。オーストラリアには7年在住。豪州株がポートフォリオの主力で総資産は1億円弱、年間受取配当金は税後で300万円。すでに経済的自由は達成も、まだまだ資産と配当金を伸ばしていきたいと考えている。

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